#12

23:04 今日は一日なんとなくしんどかった。倦怠感。首肩の凝り。

昼 ジムに行って、ストレッチ プール サウナ

プールはの~んびり気持ちよく泳ぎ、

サウナでも汗をかき、リフレッシュ。

 

『 蛇足 』

蛇の絵を一番速く描いた人が酒を飲む競争をした時、
一人がとても速く描いて、酒を飲む準備をした。
そしてあまりにも余裕だったので、蛇の足まで描く余裕ぶりを見せた。
すると、次に描き終わった人が飲もうとしていた酒を取り上げた。
蛇に足はない。それは蛇ではない。と。そうして最初に描いた人は酒を飲み損なった。

という話が有名になり蛇足は「余計な事をしてしまう」という意味になりました。

 

 

#11

22:00 です。最近は、小学生の夏休みのような毎日を送っています。

朝何となく眠たくて、横になりそのままスヤスヤ…

午後何となく眠たくなり、横になり、スヤスヤ…

進歩のない毎日です。

前に進みません。レベルアップができていません。

 

異国の人とコミュニケーションをとるべく、

英語 ハングル スペイン語 中国語 を習得。

匂いがけができるように もっともっと勉強。

 

とにかくいろんな経験がしたい   何がある? 何が必要?

 

この夏に一皮むけたいな   芥の龍ちゃんみたいに

部屋にこもって、一人でいても何も生まれない 成長できない

外に出ないと

一度 天理に足をはこんでみようか?

 

#10

23:22 いちにちが終わろうとしています。
今日もいいお天気で、セミの声も一段と大きかった。
 
午前中はカレー、最近はなかなか納得のいく美味しいものが出来上がりません。
カレールウと肉汁の駆け引きが難しい…
 
ムー先生への献上品(パフェ)を作成し(杏仁+すいかゼリー+バニラアイス+ワッフル)
午後から三味線のお稽古。
やはり毎日練習!を心がけていたので(2,3日有言実行できなかった…)
なんとなく上手くなっていたり、なんとなくの緊張もしなくなった。
 
― 継続は力なり
― 続ける力
 
もっと強い意志を。
 
最近は「一瞬の風になれ」を読み返し
自身の陸上生活、青春、と重ねいろいろなことが思い出される。
ただ、当時 自分のタイムへの 記録への 探求心のなさに
自分という人間の薄っぺらさを痛感させられた。
 
もっとどっぷり浸かれなかったのかな…?
 
いつも何に対しても一生懸命になれない
どこか手を抜いて よそ見ばかりしている
 
 

#9

2016年02月25日  さんの記事より引用
 
春の気配を感じる今日この頃。
ミモザをはじめ、春のお花も少しずつ手にできるようになって、うれしい。
春という季節はちょっと苦手だけれど、春が冬を侵食していく気配は好きだ。
 

先日、水栽培用のチューリップの可愛らしさに目を留めていたとき、
ぼんやりと言葉にはできない感覚が頭の中でぐるぐるしはじめた。
やがてチューリップの健気なその佇まいを見ながら、
次第にそれは自意識という言葉に置き換えられるようになった。

 

 自意識

 
自分自身についての意識。周囲と区別された自分についての意識。
自己意識。(出典:デジタル大辞泉

 

チューリップは人に見られることなんて御構い無しに、ただ、そこにある環境に対して
自分なりのカタチを持って、生きている。それに対して自分は一体なんだろう?
 

自意識過剰

 
他に対する自己意識しすぎること。自分が他人にどう見られるかを考えすぎること。
また、そのさま。(出典:デジタル大辞泉

 

そう、思い返すと仕事でもプライベートでも急に恥ずかしくなる瞬間は、
大体が「自意識過剰」が絡んでいたように思う。

例えば映画、音楽、アート。それらの作品は自己表現の一環であるという解釈もあるが、
私の場合、大抵作品の作り手の自意識を強く感じ取ってしまった瞬間、
その作品への気持ちが一気に冷めていくことがほとんどだ。

昨今、急速に発展しているSNSを見たり、自分が投稿するときに思う。
「美しく撮ろう」「おしゃれに」とする自意識が先行した写真や言葉には心惹かれない。
そしてとても恥ずかしくなってしまうのだ。

 

自意識なんて構っていられないくらいに、否応なしに心の底から突き動かされるもの。
そして、この世界で起きていることに、自分なりに対処していくこと。
その対処の仕方こそが、自意識という言葉にも置き換えられると私は思うから。
だから自意識を意識すればするほど、本質から離れていってしまうような気がするのだ。

 

自意識は、無意識には勝てないんだ。

 

植物の命の有り様を見ながら自意識の先にある、
無意識の美しさについて、改めて考えさせられた。