#12
23:04 今日は一日なんとなくしんどかった。倦怠感。首肩の凝り。
昼 ジムに行って、ストレッチ プール サウナ
プールはの~んびり気持ちよく泳ぎ、
サウナでも汗をかき、リフレッシュ。
『 蛇足 』
蛇の絵を一番速く描いた人が酒を飲む競争をした時、
一人がとても速く描いて、酒を飲む準備をした。
そしてあまりにも余裕だったので、蛇の足まで描く余裕ぶりを見せた。
すると、次に描き終わった人が飲もうとしていた酒を取り上げた。
蛇に足はない。それは蛇ではない。と。そうして最初に描いた人は酒を飲み損なった。
という話が有名になり蛇足は「余計な事をしてしまう」という意味になりました。
#10
#9
先日、水栽培用のチューリップの可愛らしさに目を留めていたとき、
ぼんやりと言葉にはできない感覚が頭の中でぐるぐるしはじめた。
やがてチューリップの健気なその佇まいを見ながら、
次第にそれは自意識という言葉に置き換えられるようになった。
自意識
自分なりのカタチを持って、生きている。それに対して自分は一体なんだろう?
自意識過剰
そう、思い返すと仕事でもプライベートでも急に恥ずかしくなる瞬間は、
大体が「自意識過剰」が絡んでいたように思う。
例えば映画、音楽、アート。それらの作品は自己表現の一環であるという解釈もあるが、
私の場合、大抵作品の作り手の自意識を強く感じ取ってしまった瞬間、
その作品への気持ちが一気に冷めていくことがほとんどだ。
昨今、急速に発展しているSNSを見たり、自分が投稿するときに思う。
「美しく撮ろう」「おしゃれに」とする自意識が先行した写真や言葉には心惹かれない。
そしてとても恥ずかしくなってしまうのだ。
自意識なんて構っていられないくらいに、否応なしに心の底から突き動かされるもの。
そして、この世界で起きていることに、自分なりに対処していくこと。
その対処の仕方こそが、自意識という言葉にも置き換えられると私は思うから。
だから自意識を意識すればするほど、本質から離れていってしまうような気がするのだ。
自意識は、無意識には勝てないんだ。
無意識の美しさについて、改めて考えさせられた。